次世代のミニバイクレースに
手軽さ + 本気の競技
を取り戻す!
僕がミニバイクレースを始めたころは、台数的にはピークは過ぎていましたが、まだまだ敷居が低く始められる時代(90年代半ば)でした。
2000年代に入り、じわじわレース人口が減り、中古のミニバイクが減り、新品部品もなかなか手に入らない時代になりました。
2018年 10年以上離れていたバイク業界をのぞいてみたとき、
中国のミニバイク Kayo MR150 を知ることになりました。
しかも、それを開発したのは、1997年に僕が1年間寝食を共にヨーロッパを転戦した
ライダー【ロドニー・フィー】だったのです!
彼の勧めもあり、日本のミニバイクレースの未来のために、日本でこのバイクを売ることを決め、今までの仕事をやめることになったのです!!
KURE 35 茂原ベース 代表 紅林健一(くればやしけんいち)
1965年4月22日生 出身:千葉県我孫子市
紅林の年表 アナザーストーリー
1992 ~1993シーズン
26歳の紅林は、雑誌(Mr.Bike)連載記事のスタッフ募集を知り、ヒリューレーシング代表・ライダーの
【匹田禎智】に面接を受けに行き、翌日からそのまま働くことに!
観客 → 出場側 という大きな転換点!!
全日本GP250 転戦に帯同。鈴鹿WGP250 も経験。
普段は、チャンバー製作や海外とのやりとりを担当。
アメリカの【ロドニー・フィー】(後のMR150開発者)と出会う。
1994 ~1996シーズン
ヒリューで知り合った【長谷川克憲】とチームを作り、全日本スーパーバイクを転戦。
鈴鹿8耐(HKS)やWSB菅生Rd.も経験
94年に、長谷川に半強制的にカートコースに連れていかれ、長谷川のツナギやブーツを着用して、NSR50に乗せられ、、
初めて路面にヒザをすった時、なんとも言えない感動が押し寄せ、自分とは『無縁の世界』(自分でサーキットを走る)に足を踏み入れることになったのです。
見る側 + 走る側 という世界の広がり!!
1997シーズン
【ロドニー・フィー】に帯同
ヨーロッパ選手権 GP125クラスを転戦。
1年日本を離れイギリスを拠点に。(後半スペイン拠点)
各国の人々と触れ合うことで、日本人との共通点や違い、レース関係者の考え等、多くのことを感じることになった。
1998シーズン
日本で自分のレース活動を増やす。
【ロドニー・フィー】に誘われて、アメリカのミニバイクレースに参戦したり、初めてGP125のレースに出る。
デビューサーキットはなんと ラグナセカ!!
アメリカでのレース経験は、非日常で刺激的。
みんなフレンドリー。当時子供だった【ジョンホプキンス】にバイク借りてレースしたことも。
ラグナセカのレースには、現在ビーハウス代表 蜂屋選手も参戦。ロドニーとトップ争いして2位!
1999 ~2005シーズン
SDR200 をベースに、当時オープンクラスだった【もて耐】に参戦開始。ライフワークになる。
初年度に前後足回りを TZ125 に交換。
2003年からエンジンを DRZ400 に載せ替え。
その後ヨシムラkitで450ccへ。予選落ちチームの3時間耐久を2連覇!
当時サラリーマンだったため、仕事の後深夜積み込んで、レース後月曜日仕事という情熱・資金というものが続かなくなり、2005年にさっぱりレース業界から遠ざかることに。。。
まさか、WGP中継も、雑誌も見ない生活になるとは!
2006年~2009年
サラリーマンのまま、趣味でゴルフを始める。
ただそれだけのことだったはずが、、
2010年~2015年
ゴルフ業界へ。
キャディ業務~
レッスン業務へ。
2015年~2018年
心と身体のことを究めたくて、整体業界へ。
2018年
Kayo MR150 の輸入開始!
その年 3度 中国でレースに出る!
2020年
コロナ禍の中、鎌ケ谷ベース開店!
2021年
茂原ベースへ移転!!
レースをやめた当初は、『やり切った感』『離れたい感』
のようなものがあり、また走りたいとは少しも思わなかったし、年々レースを忘れてゴルフで頭がいっぱいになっていく。。
そして、ゴルフ業界から離れて数年経った頃、Facebookで流れてくる【当時の仲間のリターン投稿】
資金的にレースは無理!だけど、ツーリングならいいかなと、レンタル車両でツーリング。
桶川スポーツランドに、レンタルNSR50があると知り、中古の革ツナギを買い、乗用車で桶川を走行!
それで済むはずもなく、ステップワゴンに乗り換え、中古のNSR50を購入。。そしてこれをFacebookで投稿したとき、【ロドニー・フィー】から『中国来なよ!レース出させてあげる!』と連絡が。
ここで初めて Kayo MR150 のことを知る。
レース後、『Kayo 日本で売ってみない?』
というささやきに 『OK』 と答えた紅林のストーリー展開中ナウ。
次世代のミニバイクレース業界にとって、中国製ミニバイクたちは【救世主】なんだ。これからも選りすぐりの中華ミニバイクを紹介していく。
そして、紅林の残りの人生を、これまで思いっきり楽しませてもらった【レース業界】のために使うのだ!!